デスストランディングが退屈だった。
デスストランディングとは、今月に発売されたPS4のゲームである。メタルギアシリーズで知られる小島監督の作品である。
ゲームの概要は、物を運び、人と人を繋ぐ。主人公は運び屋で崩壊したアメリカで都市と都市のネットワークを繋ぎ、アメリカ再建を目指すというストーリー。
僕は正直退屈だった。人間性によるものが大きいと思う。退屈だった理由を話す。
SFの世界観
物をただ運ぶというゲーム性
承認欲求と感謝の概念
小島監督は、安部公房の短編小説「なわ」から棒と縄という概念を引用し、今までのゲームは棒=敵を倒し戦うゲームしかなく、今作は縄=人と人を繋ぐゲームにしたいと話しました。
でも、デスストは結局のところ戦わせます。そこにがっかりしました。何人かの登場人物が「都市と都市を繋げてアメリカを復興しないと世界が終わるとか」、「人類に未来がない」とか言います。その意味は、序盤ではよくわからないのです。なので、イヤイヤミッションをやらされます。個人的にアメリカ嫌いだし。
物をただ運ぶというゲーム性もしっくり来ませんでした。しかも僕は方向音痴なので、広大なオープンワールドで迷子になります。ただの作業ゲー、現実世界でも働いてなんでゲーム世界でも働かにゃーならんのですか、と思いました。ゲームのキャラは物を届けると感謝しますが、プログラミングだろと僕は捻くれていました。現実世界では感謝されたら心が揺らぎますが、じゃあ、ゲームでも同じとはいきません。
感謝ですが、橋をかけたり、道を作ったりすると、それは別のプレイヤーのサーバーでも反映され、「いいね」を貰えます。でも僕は別に嬉しくない。僕が必要として建てたのだから、感謝される筋合いはないからです。他人の感謝などどうでもいいのです。あと、ボタンを押すといいねできるから押しているだけよ。本当に感謝してるん?
良かった点は、ゲームのグラフィックの美しさと音楽、終盤のストーリーの盛り上がりかな。
結論、僕はこのゲームを他人に勧めない。自分でももうやらない。
プレイして、ゲームオーバーすると全てが無駄だと突きつけられて、やり直しを喰らい、ゲームの嫌なところを再確認してしまった。
やっぱ、漫画最高。そのうち、漫画を描くことが最高てことを話そうかな。