金のバロット

バロットとは、東南アジアを中心に食される孵化寸前のアヒルの卵を茹でたもの。

雑に好きな漫画紹介!

暇潰しに書いてみる。

 

おやすみプンプン』(浅野いにお)全13巻

おやすみプンプン(1) (ヤングサンデーコミックス)

少年時代に恋の呪いにかけられたプンプンが大人になるまでの話です。ファムファタールです。プンプンのどうしようもない受け身な感じが好きです。

雄一おじさんの過去やプンプンママの話、7巻の70話、9巻の99話とか好きです。暗い漫画があっても良いんだと僕は救われました。

こんなん全然鬱漫画じゃないです。韓国映画の『チェイサー』でも観てみて下さい。めちゃくちゃ胸糞悪いですよ。

 

 

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(浅野いにお)既刊9巻

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(1) (ビッグコミックス)

東京の上空に現れたUFOとの戦争中の平和な現代日本での女子高生たちの話です。戦争経済や政治的な思想がよく描けていて、陰謀論的なデストピア感があります。青春もの、セカイ系(ちっぽけな人間の主人公が世界を変える)の要素もあります。

進撃の巨人の真逆なイメージです。おんたんが本当にカッコいいです。

 

 

『Pink』(岡崎京子)全1巻

pink 新装版

昼はOL、夜は売春で働くワニを飼う主人公のユミと継母とのいざこざやその愛人のハルヲとの恋愛を描く。

コマ割のセンスが凄すぎ。シンデレラ的な要素もあります。こういう行動する女性主人公の漫画は好きです。

 

 

リバーズ・エッジ』(岡崎京子)全1巻

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

世界が終わる感漂う90年代。主人公の若草ハルナがいじめられっ子の山田くんと仲良くなり、宝物を見せてもらうことに。その宝物は川原に放置された人間の死体だった。って話です。

死に希望を見出している感じが好きです。空虚感とか詩的な感じが好きです。しかし実写映画はクソです。

 

 

『春と盆暗』(熊倉献) 全1巻

 

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

変わった女の子が出てくるボーイミーツガールモノです。

第1話の「月面と眼窩」と第4話の「甘党たちの荒野」、おまけの「二足獣」が好きです。変わり者の思考回路が個人的に共感できて好きです。

 

 

恋は雨上がりのように』(眉月ジュン) 全10巻

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

女子高生がバイト先の店長のおっさんに恋する話です。

健全すぎて好きです。心が洗われました。アニメ版も美しくて好きです。小松菜奈主演の映画は、くどくてそんなに好きじゃないです。ただ小松菜奈が可愛いです。

 

 

ヒミズ』(古谷実)全4巻

ヒミズ(1) (ヤングマガジンコミックス)

貸しボート屋のせがれの中学生の住田は普通に生きることが夢。しかし、母は駆け落ちし捨てられ、父親の借金のせいでヤクザから取り立てられ、まともには中学校に通えなくなる。そしてある事件を起こし、街を徘徊し悪い奴を殺すためのおまけ人生が始まる。

絶望感がたまらない。映画版も好きです。

 

 

ヒメアノ〜ル』(古谷実)全6巻

ヒメアノ~ル コミック 1-6巻セット (ヤングマガジンコミックス)

味気のない毎日を送る青年の岡田くんはバイト先のキモい先輩の安藤に恋の手伝いをするように頼まれる。しかし安藤の好きなカフェ店員のユカと付き合うことになる。そんななか、ストーカーのサイコキラーの森田くんが日常を浸食する。

僕が思うに、救いがないようで、読者を救っているんです。岡田くんのコメディと森田くんのスリラーの同時進行な漫画です。映画とは全くの別物ですが、映画もオススメです。

 

ドロヘドロ』(林球)全23巻

ドロヘドロ(1) (IKKI COMIX)

魔法によって頭をトカゲに変えられた記憶喪失の男が相棒の女のニカイドウと共に、自分の姿と記憶を取り戻すため、魔法使い狩りする話。

ほんわかスプラッターという新たなジャンルを作り出しただけでなく、トリックや伏線回収が見事な漫画です。

 

 

他にも、『ファイアパンチ』『チェンソーマン』(藤本タツキ)、『地獄のアリス』『フリージア』(松本次郎)や亜人ゴールデンカムイ、『惡の華』『血の轍』(押見修造)、『ここは今から倫理です。』とか好きです。

 

いぬやしき』『GIGANT』(奥浩哉)は”絵本漫画”で話が進まないので好きじゃないです。あと『ミスミソウ 』(押切連介)の良さが分かりません。

全ての人に届け。最強の個人主義。

『僕らは奇跡でできている』は2018年の日本のテレビドラマ。全10話。以下『僕キセ』と略す。

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高橋一生扮する動物行動学を教える大学講師の相河は生き物や自分の気になったものへ没頭するあまり、周りが見えなくなる遅刻常習犯。周囲の人間(大学の同僚、生徒、通う歯医者)を困惑させる彼だが、常識や固定概念を捨て、ひたすらやりたいことをする姿が周りに変革を齎す。

メディチックなドラマです。アンジャッシュの児島さんが相川の大学の同僚の風変わりな研究者として出演しています。アンジャッシュの著名なコントと言えば、「すれ違い」コントです。このドラマはそのすれ違いコントを児島さんの前でやるのです。一方は大学教授の話をしていて、一方の相河はサル山のサルのボスの世代交代の話をしていて、アンジャる(すれ違う)わけです。本当に僕のツボなことをします。

 

ニコニコと好きなことの話をする相河(高橋一生)萌えなドラマでもあります。その姿は美しいのです。

そしてアドラーの『嫌われる勇気』「課題の分離」に通ずる作品なのです。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

【15分で解説】嫌われる勇気|承認欲求は生ゴミでした。(YouTube、サラタメさん【サラリーマンYouTuber】より)↓

https://youtu.be/rZBeETz8YSw

馬を泉まで連れて行くことは出来るが、馬が水を飲むかはその馬次第。

馬を泉まで連れて行くことは自分の課題であり、水を飲ませたいが水を飲むのは馬の課題である。

 

『僕キセ』では、リスの話が例に挙げられます。とある日本の森。リスは人間の作った道路を境に右では分布するが、左ではその姿を確認できない。

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「リスは渡れないのか、渡らないのか。」

こんな疑問を抱いた相河はリスに向こうの世界へ行ける手段としての吊り橋を作ります。

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相河にリスを渡らせたいのかと聞くと、橋を渡って向こうの世界に行くかどうかはリスの自由だと答えます。

 

誰しもが誰かにこう思われたい、褒められたい、評価されたいなど承認欲求が存在します。でもそれは自分ではどうしようもないことです。相手をコントロールすることは出来ないのです。

 

寓話の「ウサギとカメ」の解釈についても語られます。この寓話は、努力しないウサギをコツコツ努力するカメが追い越す話、怠け者への戒めのような話です。

なぜカメはゴール目前で寝ていたウサギを起こさなかったのか。その理由です。

相河の解釈では、カメは努力していないらしいです。カメは地面付近の世界しか見ていない。そもそもウサギの存在すら見えていないから、ウサギを起こさなかった。一方、ウサギは他人を見下すためにカメと勝負したと話します。

 

 

もう一つの大きなポイントは、このドラマは自己肯定の物語なのです。特に素晴らしいところはそこです。理解されない孤独な人への指標であり応援歌なのです。

 

「僕は人となかなか仲良くなれませんから。でも一番仲良くなりたい人と仲良くなれたから、それでいいんです。昔はその人のことが本当に大っ嫌いで(中略)僕です。

昔の僕は僕が大嫌いで毎日泣いてました。」ep2の相河より

 

エピソード1では、相河は虫歯になってしまい、歯医者を訪ねます。そこで絵を描く少年に出会います。少年と相河はとても馬が合う様子。相河は少年の描く絵をとても褒めます。少年のウサギとカメの解釈に賛同します。でもその少年は勉強が出来ず、母親からは叱られてばかりいます。少年は相河のかつての姿なのです。エピソード7では、相河とその少年の母親との対峙、過去の自分のトラウマとの対峙を描きます。

 

「(勉強が出来ない自分の息子に”やれば出来る子”といい聞かせる母親に向かって)やれないのかもしれません。」

「やりたいことだけやればいい。やらなきゃと思うことはやらないていいと祖父は言いました。僕は(得意な)科学が出来なくてもいてもいいんだ、と思えるようになりました。」ep7の相河より

 

僕はエピソード7で泣いてしまいました。大人に理解されなくて叱られている自分、クラスで浮いている自分を思い出しました。

 

『僕キセ』のちゃんとしているところは、その”自分のやりたいことだけをやればいい”の理想に釘を刺すこともします。やりたいことなんてない。やりたいことがある人は、ほんの一握り。やりたいことだけ考えていて、自分の進路を考えている気でいてはダメ。などという現実。

 

このドラマの仕掛けたマジックは“やりたいことだけやる”が周りを変えていくのです。相河は周りのことなんて考えてません。好きなことを突き詰めれば共感を得られるという作家志望への教科書でもあります。

この最強の個人主義を皆に届けたい。

世間が漫画業界に遅れている。

巷で「鬼滅の刃」が流行っているので、Netflixでアニメを10何話くらい観てたのですが、全くハマらなかった。何故だろうか、あらゆるものの既視感と、技名を叫ぶバトル、キャラがめっちゃ叫んでコメディやってるのが好きになれなかった。

お前が単純に流行ってるもの否定したいんだろとか言われそうだが、そんなことない。僕だって盛り上がりたい。「カメラを止めるな」を映画館で観た時、劇場が満員で他の客と一緒に笑い、共感したのは結構嬉しかった。

 

なんか、Twitterで鬼滅の作者が女性だった的な盛り上がりを見せている。よくそんな盛り上がれるなぁ。何の熱を持って批判したり擁護するのか。

 

漫画はこの世で最も平等な世界なのに。今から大学で学んだ漫画の歴史や世界の漫画についての知識をひけらかします。

ハリーポッター」の作者のJ・K・ローリングはイギリスの出版社で女性差別を受けたらしいです。21世期の紳士の国なのに。フランスのバンド・デシネやアメリカのアメコミでは女性作家が全くいない。フランスでは漫画は男の読むものとしての扱いを受けている。そもそも、漫画業界の規模が小さい。

では、日本は。日本の漫画業界の作家の男女比は半々。まあ、戦前から長谷川町子という女性作家が既に存在していた。当初、戦後の少女向け漫画を書いていたのは、手塚治虫赤塚不二夫だったのに、次々と女性作家が現れた。萩尾望都とか。

 

何が言いたいかって言うと、鬼滅の論争自体が僕にとって異質。

 

 

余談。

最近は、アニメの「恋は雨上がりのように」と「ハッピー・デス・デイ」を観ました。良作でした。「恋は雨上がりのように」は漫画全巻で買いました。とても楽しみです。あと、「亜人」、「血の轍」、「ジャガーン」の新刊を買いました。「血の轍」は、”群馬弁萌え”で好きです。以上。

『鈴木先生』が気持ち悪い。

鈴木先生』とは、中学校を舞台に主人公の鈴木先生がごく普通の生徒に焦点を当て独自の教育論で問題を解決していくといった内容の漫画、テレビドラマ、映画作品である。

 

僕はAmazonプライムで観れるということでテレビドラマを観たのだが、一言で言うと「気持ち悪い」だった。

 

 

鈴木先生 完全版 DVD-BOX

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  • 発売日: 2011/09/07
  • メディア: DVD
 

 

 

第一話は、中2男児が小4女児の処女を奪う、同意の上でセックスをする。小4女児の親が知ってしまい問題になり、そのことについて鈴木先生が説くといった感じだ。この時点でもう気持ち悪い。その中2男児の言い訳が「相手が大人っぽいからセックスをしても問題ない」だという。それを理性的ぶって言っているのが不快。しかも処女性についても議論する。

つまり、『鈴木先生』は中学生がセックス観について大ぴらに議論するドラマです。

 

このドラマの最も気持ち悪い所は、男どもの妄想全開のロリコン推進なところ。鈴木先生は美少女の小川蘇美への妄想を膨らませている。彼だけでなく体育教師もジョークでセクハラ発言をする。中学生を性的な対象として見ているのを一切恥じていない。ストーリーが進むと体育教師のセクハラやパワハラが問題になります。でもその原因が欲求不満のせいらしい。これはコメディですか?

 

鈴木先生は理性的で論理的でまるで面倒見が良い”良い先生”のように作中では表現されています(そのコントラストで増し増しで気持ち悪い)。しかし彼の実態は平然と贔屓をするし(人間だから贔屓するのは仕方ないが、彼が誇らしげに語る教育論とは真逆)、クドイ言い回しをして偉そうな語り口をするのです。まあ、ウザい。

そして、物語の後半に登場する鈴木先生の彼女がそんな彼のフェチズムへの物分かりの良さも気持ち悪い。

 

足子先生という鈴木先生のライバル的な存在の描き方も気持ち悪い。足子先生は女性でフェミニストです。自分が正しいと思い込み、空気が読めない。ヒステリーを起こします。何が嫌かって、鈴木先生には共感できるような演出をし、足子先生には全くしないところです。しかも、彼女の問題行動は欲求不満が原因らしい。

人間の行動原理はどうやら全部欲求不満らしいですね。

 

このドラマは第二話だけは素晴らしかったです。僕はこのドラマを好きな人とは仲良く出来ない。

自己責任論にケリをつけたい。

夢を追い大変な状態でも自己責任。貧困に喘ぐのも自己責任。

それは正論かもしれないが、果たして正論は人を救うのか。正しさだけで救えるのなら悪なんていない。誰だって失敗するのにそれに対する救済はないのか。

 

鹿は生まれてすぐに立ち上がり草原を駆け巡ります。もちろん、人間は違います。人間は進化により脳が頭が肥大化したことで母親の狭い産道を通るため、成長しきらずに未熟な状態で生まれてきます。未熟なため、他の生物より本能と呼ばれる部分が発達せず、生まれてから社会性を学びます。進化により母親は一人で子供を生むのは困難で他人の手を借りるようになりました。そして、親や周りの大人に赤子の善悪は委ねられます。かつては子どもは 3世代の家庭で育てられていました。しかし現在では核家族が一般的です。善悪を教える母数が少ないのです。

 

 

黒子のバスケ脅迫事件の犯人の言葉を読みました。それに対するリプも見ました。「ただの妬み」の一言で彼を片付けられるのなら、貴方は幸せなのでしょう。でも、そんな言葉より犯人の言葉の方が血が通っているように見えた。

僕は犯人を擁護するつもりはないです。黒子のバスケの作者や上智大学、世間が被害者で彼は加害者です。でも、僕らは加害者を悪を救うことは出来ないのだろうか。

この事件にも自己責任論が登場するのです。

 

黒子のバスケの作者を標的にした理由は、バスケ漫画であり、BL的要素があり、作者の新宿出身の上智大学中退という学歴の三つの条件にとても憧れていたから。「夢を持って努力できた普通の人たち」が羨ましかったと語ります。

彼にとって人生で熱中した唯一のものはこの事件。捕まって檻の中の方が居心地が良い。話し相手がいる。劣等感を感じさせる勝ち組はいない。三食バランスの良い食事が取れる。イジメがあったとて、かつて小学生時代の両親や教師より今日の刑務官の方がきちんと対応してくれるだろう。そして、死にたいと。

犯人は「生けるしかばね」「負け犬」「無敵の人」と自称しました。自分の人生に関心がない、親の保護もなく自立もない、楽しいという感情がない、ネガティヴ。つまり、親ガチャに恵まれなかった。

そして事件について、親ガチャでハズレのなかった人々から、「努力は報われるのだから、努力不足である本人のせいだ」という意見をぶつけられたそうです。努力信者に嫌悪感を抱いた。彼曰く、「負け犬」には四種類あり、「努力した人」「努力しなかった人」「努力できなかった人」「努力という発想がなかった人」。自己分析によると、彼は努力するという発想すらなかった、自分には可能性がないと思う人「埒外の民」だという。

この先、日本社会は自分のような勝ち組の足を引っ張る「無敵の人」と対峙せねばならなくなると。

 

彼は出会えなかった。救ってくれるものに。両親に、その他の大人に、友人に、恋人に、夢に、漫画などの作品に。個人的に漫画家になれよと思う。

 

 

近年。

元農水次官の父親が引きこもりのDV息子を殺した事件。父親は自己責任を果たした。

 

相模原障害者施設での虐殺。犯人は自己責任が果たせない人間(障害者)は人間ではないと事件を起こした。

 

 

僕は個人的に自己責任論が流行っているなと感じる。自己責任が好きな人へ。集団に属せば、自分が悪くないのに他人の失敗を被ることがあるはずだ。上司のせいで、家族のせいで、全く見知らぬ人のせいで、酷い目に遭う。貴方は理不尽を知っている。

しかし、民主主義社会で競争社会の現代。男性は生まれながらにして、外で働き競争に参加させられる宿命だ。だから自殺するのは男性の方が多い。しかし、これからは女性も外へ出る。リベラル化しつつある社会では、選択肢が増える。つまり、もっと自己責任を求められる。

 

大人は更生しない。思春期過ぎた人間が心を入れ替えられるわけない。悪は後天的な本能だから。

過ちを犯す前に救えなかったのだろうか。救う手立てはなかったのか。自己責任で簡単に片付けられてしまう貴方の心は豊かなのだろうか。僕は社会を憂うことしか出来ない。

腸チフスのメアリーはそこらじゅうにいる。

チフスのメアリーとは、腸チフス菌を持った健康保菌者のメアリー・マローンのことを指す。

1900年代のニューヨーク。まだ、細菌という概念が世の中に浸透していなかった時代。家事使用人のメアリーの周りでは、腸チフスに感染する患者が多発した。原因は、メアリーは健康体でありながら、腸チフスの菌を体内に持っており、周りの人間にその菌をばら撒いているというものだった。

メアリーは隔離されるも、本人の希望により、食品に携わる仕事に就かないこと、定期的に居住先を明かすことを条件に隔離病棟から解放された。しかし、メアリーは守らなかった。結果、また同じようなことが起きた。


現代にも、腸チフスのメアリーはいる。細菌や公衆衛生の概念が定着している現代でも。テレビや政府がその危険性を伝聞しているのに。コロナウイルスの蔓延が騒がれている中、ダイヤモンドプリンセス号に乗っていてコロナウイルスに感染した時の初期症状を把握していながらも、濃厚接触が容易に考えられる場所に赴き、ウイルスをばら撒く。ばら撒いた後、その事実を明かさない。

スポーツクラブやヨガスタジオは、その個人を訴えることは出来ないのだろうか。そんなことで潰されるのは理不尽過ぎないか。


みんな大好き自己責任論。貧困も自己責任。最近では、妊娠中でも胎児が障害を持っているかどうか分かるらしい。その胎児が生まれても自己責任だと言われるのだろうか。今回のコロナウイルスの件、日本政府の対応は明らかに後手後手でどうしようもないのだが、先手先手でもおそらく文句を言われるのだろう。コロナウイルスを持っていながら外出するような連中に。この世界にはそんな自由を求め、責任を果たせる人間がいるのか。


自由と自分勝手を履き違えるな。これはコロナウイルスの件だけでない。自分勝手なお前らが最期後悔するのを僕は願っているぞ。

『スイス・アーミー・マン』を語る。

スイス・アーミー・マン』は、2016年のアメリカ映画。死体との友情を描くサバイバルコメディ映画。

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ポール・ダノ扮する青年(ハンク)が無人島に遭難し自殺しようしているところにダニエル・ラドクリフ扮する水死体(メニー)が流れ着く。ハンクはメニーに乗り脱出を果たし、海岸に辿り着く。そしてメニーと共に森を抜け、街を目指す。その道中、スイスアーミーナイフの如く活躍を見せる。

 

 

僕の思う良い映画(良く出来ている映画)って、序盤にこの映画はどんな映画かを示す映画だと思うのです。

例えば、『ジョーカー』。『ジョーカー』は、アーサーがピエロのメイクをしながら、手で口角を無理矢理に上げて涙を流すシーンから始まります。本心は泣いているが無理に笑っている。『ジョーカー』はアーサーが笑う映画なのです。

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では、『スイス・アーミー・マン』の始まりは。紙の折られたヨット数艇が海を流れている。そのヨットにはSOSの文言が。主人公が無人島で助けを求めている。広大な太平洋でその声は届かない。届かず自殺しようとする。この無人島は、主人公の置かれている状況のメタファーなのです。

映画や漫画などの作品の素晴らしいところって、メタファーができるということ。つまり、状況を視覚的に見せることができることです。構造的にも素晴らしい。

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そして流れ着くメニー。メニーは放屁で海に向かって進み始め、ジェットスキーのようにしてハンクはまたがります。

 

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大海原に俯瞰でこの二人。そしてアカペラの音楽。ラララ♪ラララ♪ラララ♪ラララ♪ラララ♪。そしてタイトルがどーん。’’Swiss Army Man’’

 

https://youtu.be/O9CA2_VW9g4

 

この序盤だけで最高なのです。

 

そして、ハンクが飲み水が欲しいと願うと、メニーは口から飲み水をだします。ハンクが話し相手が欲しいと願うと、メニーは話し出します。ハンクにとってメニーは唯一願いを叶えてくれる存在なのです。

 

何を描くか。

 

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放屁で海を渡る、勃起したペニスが行き先を示す、水筒のように水を溜め口から吐き出す、etc。死体が多機能に活躍するという奇抜な発想ですが、ストーリーは大真面目。死体との友情を育み、主人公は現実と向き合わなければならない。トラウマを克服する。帰りたくない場所に帰る。

『チャッピー』的な要素もあって。ストーリーも思いも寄らぬ展開へ。

無人島やサバイバルを舞台にした映画は、数多くあるが、こんなにもポップでコメディで人間ドラマが観れるのはそう多くない。オチも素晴らしく美しい。

 

 

https://www.netflix.com/jp/title/80097389

Netflixで観られるので観て欲しい。90分くらいの短い映画なのでオススメです。

 

 

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

  

この映画の素晴らしさ。

 

まず、ストーリーは街を目指すというサバイバルから中盤は、メニーの忘れている記憶を呼び戻そうとし始めます。人は身体があって脳で記憶する。文明。社会。人生。愛情。などを教えていきます。ハンクの半生も教え始めます。

そしてメニーはハンクのケータイの待受の美女を知っていると言い出します。恋人だと。ハンクは思い出させるため、森に捨てられた廃材を使い、バスでのその美女に声をかけるシチュレーションをやります。コント的な。

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こんなやりとりがハンクに希望を与え、メニーとの友情が育まれます。そしてこの森からもう帰らなくてもいいとまで思うようになるのです。

ここが本当に上手く、物語は家を帰ろうと始まったのに、いつから帰らなくてもいいという答えを出してしまいます。

 

 

最後。

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無事に街に着いた二人。でもメニーは何も話さなくなります。メニーは行政に回収されてしまいます。ただの死体へ。ハンクは死体を抱えて逃げます。そして海岸へ。

これはハンクが孤独の余り見てしまった妄想だったのか。そんな空気が流れています。

すると、メニーが物語の始まりのように放屁で海へ向かっていきます。これは本当に存在した。メニーもその友情も本当に存在したんだとメニーは示したのです。

このオチって本当に素晴らしく美しいなと。

 

グッバイ、メニー。

 

東京浪漫と地方コンプレックス

僕は田舎もんが大好きで、特に上京する田舎者は特にツボで。幸せボンビーガールつう番組も好きで好きで。

大学進学で上京して別に似合ってもねえのに髪を染めちゃうなんて可愛らしくて愛せるんだけど、なんのあてもないけど東京行こう。進学とか就職とか関係なく。東京行けば変わる的な人ってホント馬鹿で最高。

そういう田舎もんは田舎では燻っているだけで東京に行けばと輝けると勘違い。学生時代に田舎で個性出そうと変な格好して、見てくれだけで個性的に走ったばっかりに、大人になって東京行ったら、そんな群衆に埋もれて。個性的を個性だと思い込む無個性。普通じゃないのを目指す人は普通の人だから。

他パターンは、田舎じゃあ黒髪で地味メイクだったんに、ブラウン管で夢見た東京に来て、似合ってもねえ身の丈に合わねえ変なピンク色とかに派手な髪に染めちゃってコリアンメイクにして透明な変なバックを持って、それで「東京に染まったねー」なんて周りに皮肉言われちゃって気付かず喜んじゃう。本当に東京に染まれる奴はそんなこと言われない。まぁ、”東京に来たアタシ”に対する感想に困っちって言う程度の二番煎じの二番煎じの10乗くらいに使い古された、東京と田舎もんが生まれた時代から使い古された言葉なわけよ。

地方の局の燻ってる女子アナとかが傑作で。小さい頃から可愛いって言われて育っちゃって、その親バカ魔法にかけられ、12時の鐘が鳴ってるのも気ぃつかねえで、東京のマジもんのお嬢様が大手テレビ局の女子アナになっていって、その横目で引き返せねーと地方を受けて何年かやれば、選ばれ者側に行けると思ってりゃ。

まあ、痛いのはまだいて、地方都市の、大阪やら福岡やらにいて東京を見下しちゃう奴。いや、東京は別格だからな。田舎もんよー。

大阪って治安めちゃ悪いし店のゴミの分別も全国最下位で学業もダメでスラムもある癖して、東京を冷たいていうのは矛盾。どの口が言ってんだ。それに吉本新喜劇って関東人にはウケない。

それ以上に痛いのは、ただ東京に生まれただけで偉いと思ってる選民思想の野郎。てめーの親父、じーさんは、戦後の集団就職で地方から来た、三代も遡れば田舎もんだろが。親父、じーさんは志で身を粉にして働いたんだろうが、てめー関係ねえからな。

 

上京する田舎もんには3タイプいて。東京に染まろうとして染まれない田舎もん。上手く東京に染まる田舎もん。絶対に染まらない田舎もん。

僕は三番目が好きです。目指すべきところだな。あいみょんて地方出身で、地元背負って来てる感があって、でも地方コンプレックスがない感じ。才能あって格好良いわ。

 

 最近、浅野いにお本を読んで、浅野いにおも学生時代から東京に出てきてやるっていうのを回想してて…

新海誠の「天気の子」って、帆高が離島から家出してまで東京に出て来るじゃないですか。あれが本当に理解できなくて、あれはなんだろうかと。僕の故郷はまあ何も無い。田舎独特の閉鎖感もなく。大学の数少ない友人も東京に電車ですぐ行ける地方出身で、そんな彼と『天気の子』とか新海作品に出てくる東京浪漫ってなんだろうか話し合った。彼も帆高の上京を理解出来なかったという。大した結論は出なかった。

 

東京はそんなに家出までして出てくるような場所なのだろうか。人生で一回は出て来ようとする人生の岐路なのだろうか。東京に生まれるに越した事はないのだろうが、東京の庶民には生まれてきたくないなとは思う。東京の空気は汚いし家は狭いし人が多くて疲れそう。

新海誠には田舎もんは東京に絶対憧れている的な共通認識があるのだろう。

 

まあ、近いうちに首都直下型地震南海トラフ地震が起こると思うので、埼玉に籠城します。埼玉ほど住むに適した土地はないです。

 

 

現世のオススメのドラマ

いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

韓国映画「パラサイト」を語る。

僕は韓国映画が好きです。韓国の映画のレベルは日本より上なのは確かです。韓国は世界マーケットで戦うので国内だけでウケる映画では生き残れないのだと思います。

 

『パラサイト』は、ポン・ジュノ監督作品で主演はソン・ガンホ。恐い映画なのかなと見る前は思っていたが、そんなことはなくエンタメ性のある作品だった。ポン・ジュノ映画の醍醐味のブラックジョークがあまりウケてなかったような。僕は大好きなのに。

 

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あらすじ

半地下住宅に住む失業中のキム一家。息子のギウは友人からパク家の娘の家庭教師の代行を頼まれる。

ギウ及びキム一家はこの機に高台の豪邸に住むパク一家に家族総出で寄生しようと計画を練り動き始める。

 

 

予備知識をネタバレなしで知れます(↓)

https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=26119

 

 

では、今作の魅力を語ろう。

 

・象徴的

序盤でソン・ガンホが象徴的と言います。メタフィクション的な発言なのですが、つまりこの映画はわかりやすい。

半地下住宅と階段、高台の豪邸

アメリカ好きの権威主義アメリカインディアン

 

 

↓以下ネタバレ込み。

 

・恐ろしい現実

ポン・ジュノは常に作品に現実を描いていると思います。今作の辛い現実とは。

パク一家は善人の金持ちです。『スノーピアサー』では上級階級が悪として描いていましたが、今作は違う。作中でもキム一家が口を揃えて言う。パク一家は良い人たちだと。パルムドールを獲った貧困を描く『万引家族』では、貧しい主人公の擬似家族は正しく、その他の社会が悪として描いていました。金持ちイコール悪という単純な描き方をしていないのが今作の良いところであり、恐い現実です。今作での悪は「無関心」ということです。

貧しさには下には下がいる。キム一家は半地下にいて半地上にもいますが、それより下の人たち。家政婦とその旦那です。そんな彼らが嘲笑う北の将軍。その下は北朝鮮の人々。貧しさは匂いと表現しています。切り干し大根のような匂い。臭いわけではなくそんな匂い。

家政婦の旦那は恐ろしいことを言います。地下生活をそんな長いことしているわけでもないのに、自分はずっとそこにいた気がする。そしてこれからも寄生できるのならずっとそこにしていたいと。

 

今作はどうやったらズルして金持ちに寄生出来るかと画策する話でした。そのオチとは、パク一家の旦那を殺したキム・ギテクがパク一家の地下で逃亡生活をしており、息子が真面目に働きその家を買い、親父を救い出すと心に誓うものでした。しかし、現実的には無理だと思います。客観視した時に絶望が待ち構えているオチでした。

 

酷いことするよ、ポン・ジュノ

 

 

ポン・ジュノのオススメ作品

 

殺人の追憶

・オクジャ

母なる証明

・スノーピアサー

 

中田敦彦の危険性。彼はデュープスか。

中田敦彦YouTube大学は「学ぶって楽しい」をコンセプトに、文学、歴史、政治などを紹介し解説するYouTubeチャンネルである。チャンネル登録者数は100万人を超え(現在は非公表)、かなりの影響力が伺える。

 

中田敦彦は自分には思想がないと言いながらも、多角的な意見のある問題(日韓問題など)を一冊の偏った本(池上彰の著作など)から解説しているのだ。そりゃ偏るだろ。

 

日本人は、学歴のあるエリートや口の上手い奴が好きだからな。(小泉進次郎が良い例)

 

 

デュープス(DEEP)とは、騙されやすい人たちを意味する。現代では、共産主義者でもないのに結果的に共産主義思想に同調する意見をしてしまう芸能人のことを指す。

 

 

では、一例。

 

【現代史】日韓関係悪化の裏には壮大な歴史が絡んでいる〜前編〜 

https://youtu.be/uFBxDIcXDDg

 

本動画の参考文献

池上彰が聞く韓国のホンネ」(朝日新聞出版)

のみ。

 

 にしても、Wikipediaの場合は参考文献が多いほど信用性の高い記事とされているんだよね。

あとテレビには、放送法というものがあって、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」を守らなきゃならない。まあ、守ってないんだけど。

YouTubeだからとか、学ぶきっかけになればいいとか、そんなのはタダの子供の言い訳だろ。正確に伝えなければならんだろ。

 

 

本動画が炎上した際、中田は、「対立する意見は視聴者が動画のコメント欄でして下さい」と言い、ある種の逃げをしました。

 

本動画の間違えポイント

 

GSOMIAの説明 2:20~

GSOMIAとは、「軍事的な情報を日本と韓国で交換しようね」という条約ではなく、「アメリカが日本の許可をいちいち取らずに韓国へ韓国の国防に関する情報(北朝鮮がミサイルを発射した情報など)を渡しても良い」という条約です。

徴用工問題 5:59~

韓国の主張では、「戦時中に日本企業が朝鮮人を強制的に働かせていた。その賠償をしていない。」です。でも、彼らがおもむろに主張する意見とともにある写真や銅像のモデルは、かつて北海道新聞に掲載された強制労働される日本人なのです。あと、実際は強制ではなく志願。

日韓併合 12:30~

中田は日本は朝鮮を支配したと浅く解説しました。実際はどうか。そもそも日本は朝鮮を支那から独立させようとしていました。日本は朝鮮の知日派を支援しましたが、虐殺されます(金玉均が良い例)。当時、知日派を匿っていた、支援していた慶應ボーイや後に脱亜論を出す福沢諭吉の心情は如何なるものだったのか。

朝鮮併合は朝鮮人から頼み込んだものであり、また国際社会(欧米)も賛同しました。極東の平和(ロシアへの牽制)になると。

 

李氏朝鮮末期の朝鮮の真実、イザベラバード朝鮮紀行…女性紀行家が見た、町の様子と庶民の生活抜粋!!』(↓)

https://youtu.be/Who79y54Ddg

 

GHQメンバーが記した朝鮮の認めたくない事実』(↓)

https://youtu.be/MV0BqYhqhyE

 

まあ、これを見りゃ当時の朝鮮がわかります。

 

 

朝鮮人の奴隷を解放(当時の朝鮮は階級社会。両班は国民の大多数を占め搾取するシステムが構築されていた。)し、インフラを整えました。併合時に24歳だった平均寿命が1942年には二倍の45歳になり、人口は1313万人から2553万人まで増加しました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本統治時代の朝鮮

果たして欧米の植民地支配と日本の朝鮮統治は同値だったのか。

 

日本語による支配と言いますが。今でも日本人が日本語で大学までの教養が得られるのは日本語が高等学問にまでに対応しているからです。それは明治維新後に当時の日本人が懸命に英語を翻訳したからです。当時の朝鮮語が対応していたわけがありません。だから日本語を教えたのです。当時、日本にアジアからの留学生が多く来たのもそのためです。朝鮮語も、廃れかけていたハングルも普及させました。日本は当時の親によって働かされていた朝鮮の子供に学校に行かせるようにするため、罰則を設けるほど教育に熱心でした。それに日本は本土に国立の大阪大学を創設する以前に京城(ソウル)に京城帝国大学ソウル大学校の前身)を創設しています。

朝鮮併合で朝鮮人の文化がなくなったとかいう輩が言いますが、文化なんて元から存在していません。日本人の価値観で文化は国や民族に絶対あると思ってはいけません。むしろ、ハングルを普及させ、朝鮮人が役人になれたんだから、アイデンティティの肯定をしたくらいです。韓流の時代劇に騙される人もいるかもですが、あれは完全なるファンタジーです。

 日韓基本条約 14:24~

18:21~日韓請求権協定。中田「日本政府から無利子で3億円、低利子で2億円でお渡しするので手打ち(徴用工問題、慰安婦問題について)にしましょう。」

違いますよ。3億アメリカドルと2億アメリカドルです。

当時1ドル360円で、3億ドルは円換算で1080億円。さらに当時の大卒初任給が約2万円なので、当時の物価は現代の約10分の1ほど。つまり、3億ドルは物価換算では現代の1兆円相当です。

 漢江の奇跡や今日に至る韓国の豊かさは、日本人の血税からなされるものです。東南アジアの国だって隣国に日本があれば、韓国以上の経済大国になれました。

 

 

余談。

19:24~ 中田は「韓国人は、日本はドイツのように謝罪すべきだと主張している」と言っています。中田はそうは思っていないと思うので、これは中田に対してではなく、「当時の日本とナチスドイツを同値」とする人に言いたい。

西尾幹二反日派を完全論破(↓)

https://youtu.be/-jCxBRxrxUQ

 

そもそも、ドイツは謝罪していない。全てナチスのせいにしている。ヒトラーが政権を取ったのはドイツ国民が民主的に選挙で決めたことなのに。

  

その他の意見

 

   


 もう辞めとけよ、中田敦彦